三谷隆信回顧録に書かれた天皇の食事についての記述

記述からは日付は特定できないがこの前後だと思われる。(12日以降は天皇那須に行っている)

 拝命後間もなく田島長官と共に吹上の御文庫に召されて夕餐の御陪食に与った。御文庫とは戦争中吹上御苑内に急造した防空用の建物である。地下は防空壕として設計され、地上の部分が両陛下の平時の御住居として用いられた。御文庫の夕餐の席には、両陛下と我々と当直の侍従、女官、侍医のみが坐したと記憶する。献立は忘れたが、サラダはキバナノバラモンジンという野草であった。名称がむずかしいので一生懸命覚えようとしたので今も覚えている。陛下はこの野草についていろいろ説明して下さったし、帰りには少々拝領した。私は戦争中ドイツの南部にフランスのヴィシー政府と共に、しばらく仮住いしていたとき、宿で野生のタンポポのサラダを食べて、美味しいと思ったことがあるが、キバナノバラモンジンはついにおいしいと思えなかった。それだけに畏れ多く思った。先憂後楽という文字があるが、陛下はこれをモットーとして実行されていた。食物ばかりでなく生活全般について国民が苦しい生活をしていることを一刻もお忘れにならない。なんとか親しく国民に接して、御気持ちの万分の一でも伝えたいという念願がつよくおありになった。

三谷隆信回顧録 侍従長の昭和史』(275p)


4122033810回顧録 侍従長の昭和史―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈3〉 (中公文庫)
三谷 隆信
中央公論新社 1999-03

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