三谷隆信

天皇の三谷隆信に対する辞意

この日、皇太子の15歳の誕生日。 そして、東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章の7人のA級戦犯が処刑される。 天皇一家は予定されていたすべての行事を取りやめ、服喪の一日を過ごす。 これは村井長正が田島道治から…

三谷隆信の推察する天皇の心境

私が侍従長を拝命した頃、世間には天皇退位論が盛んであった。戦争は天皇の名によって行われたのであるから、天皇は責任をとって退位すべしという形式論もあり、国民道徳の低下を救うためには、天皇の退位が最上の道であるとする政治論もあった。このような…

三谷隆信回顧録に書かれた天皇の食事についての記述

記述からは日付は特定できないがこの前後だと思われる。(12日以降は天皇は那須に行っている) 拝命後間もなく田島長官と共に吹上の御文庫に召されて夕餐の御陪食に与った。御文庫とは戦争中吹上御苑内に急造した防空用の建物である。地下は防空壕として設計…

 宮中人事の交代

宮内庁長官 松平慶民 → 田島道治 侍従長 大金益次郎 → 三谷隆信実際はGHQ民政局の以降による更迭人事侍従次長の加藤進が反対し、芦田均と田島道治が怒るが陛下の意向と知り恐縮。 (徳川義寛『侍従長の遺言』(134p))侍従長の遺言―昭和天皇との50年徳川 義寛…