退位の書簡を認める発言

昭和天皇77歳のときの会見より 記者:今年の夏、米国のマッカーサー記念館で、昭和23年に陛下が田島長官を通じ、「退位せず」というご決意を表明された書簡が公表されました。 これはマッカーサー元帥が、陛下に退位されないようにお勧めしたことへの返事と…

もしも一般人になったら

『ニューズウィーク』バーナード・クリッシャー東京支局長による訪米前のインタビュー 記者:陛下は一日でも一般の人になって、誰にもまったく気付かれず、皇居を抜け出し、気ままに振るまってみたいとお考えになったことはありませんか。仮に実現したら何を…

皇后還暦後の発言

昭和天皇62歳。那須御用邸での会見より 記者:両陛下そろって還暦を迎えられたご感想は。 天皇:私的なことだから感想はないが…。六十年生きてきて、何ひとつ立派なことができなかったことを悔いている。これから国民のために、できるかぎりのことをやってい…

 退位論を持ち出したとされる三淵忠彦について

最高裁判所の判事については三淵忠彦氏に×印をつける 『入江相政日記 第4巻』(165p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社 朝日新聞社 1994-10by G-Tools

 田島日記この日の記述

東宮御誕辰 小金井へ拝賀3ー5 帰途 山梨大将 話題 英語 鴨猟 Blyth 鈴木大拙 10.30 両陛下へ拝賀 皇族 皇太子御使 長官等四人 旧奉仕者 侍従職 食道 赤飯ト煮〆 「田島日記」(加藤恭子『田島道治』に所収(239p))田島道治―昭和に「奉公」した生涯加藤 恭子 …

 皇太子の誕生日

東條以下七名は、一九四八年(昭和二十三年)十二月二十三日に絞首刑に処せられた。天皇陛下はその日一日ひきこもっておいでになり、皇太子殿下は参内して御家族と一緒に十五回目の誕生日を祝うことがお出来にならなかった。 エリザベス・グレイ・ヴァイニン…

天皇の三谷隆信に対する辞意

この日、皇太子の15歳の誕生日。 そして、東条英機、土肥原賢二、広田弘毅、板垣征四郎、木村兵太郎、松井石根、武藤章の7人のA級戦犯が処刑される。 天皇一家は予定されていたすべての行事を取りやめ、服喪の一日を過ごす。 これは村井長正が田島道治から…

東京裁判、死刑執行の噂

入江日記によるとこの日、明朝に東京裁判の絞首刑の執行が行われるという噂が流れる。『入江相政日記 第4巻』(120p) 入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社 朝日新聞社 1994-10by G-Tools

キーナンとの御陪食

キーナンが26日に帰国するのを前に天皇と会食 入江日記には「キーナンとの御陪食がなかなかおかかりになり」とある。『入江相政日記 第4巻』(119p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社 朝日新聞社 1994-10by …

宮中の様子

「入江日記」による宮中の様子 ラヂオのスイッチを入れると丁度極東軍事裁判の判決を言っている。広田、土肥原、松井、武藤、東条の五氏に絞首刑、東郷氏二十年、重光氏七年、他は終身禁固刑ということ。木戸さんが絞首刑にならなくて本当に結構だった。今夜…

村井長正の見たこの日の天皇の様子

村井長正の回想 「陛下は眼を泣き腫らして、真っ赤な顔をしておられた。生涯忘れられないお顔である。私は恐れおののき、視線を落とし、二度とそのような陛下を見まいとして要件だけ述べ、顔を伏せたままドアを閉めた」 橋本明「封印された天皇の「お詫び」…

三谷隆信の推察する天皇の心境

私が侍従長を拝命した頃、世間には天皇退位論が盛んであった。戦争は天皇の名によって行われたのであるから、天皇は責任をとって退位すべしという形式論もあり、国民道徳の低下を救うためには、天皇の退位が最上の道であるとする政治論もあった。このような…

 退位せずの書簡

この日、東京裁判の判決 東条英機以下7人が絞首刑、25被告全員が有罪 天皇のマッカーサー宛の書簡 連合国最高司令官 陸軍元帥 ダグラス・マッカーサー閣下 謹啓 天皇陛下の御下命により、本官は閣下に対し、天皇陛下から次のようなメッセージをお伝えする…

文化の日の御製へのマスコミの反応について

今年から明治節は無くなったのだが、様式は全く旬祭と同じ御拝があらせられた。昨日御製五種が発表されたが、我々の予想通り朝日が文化に関するもの御二首載せた。時事には五首全部謹載したが、他は全く何も書いていない。これは今時OPENで発表すればこうな…

読売新聞の退位報道に対するシーボルトの工作

この日、読売新聞が退位の可能性を示唆する記事を掲載 読売新聞が十一月一日のトップ記事として、吉田首相が度々天皇と秩父宮殿下を訪問したのは、退位と直接の関連がある、ということを報道した。真偽をたしかめるために、私の友人で、総司令部と宮内庁との…

マッカーサーからの退位反対の意向

首相参内 11:30ー12:30 前日Mcと会見の結果 Ab(退位)など決して然るべからずとの彼の意見のこときく 「田島日記」(加藤恭子『田島道治』に所収(221p))(ひらがな部分、原文はカタカナ)田島道治―昭和に「奉公」した生涯加藤 恭子 阪急コミュニケーション…

マッカーサー、シーボルトの会話

マッカーサーの発言 「実は自分も天皇が退位を考えているのではないか、あるいは裁判判決による強い感情的緊張から、ひょっとして自殺さえ考えているのではないかと、心配していたところだ」「東京裁判の判決は、いわば一トン分のダイナマイトを爆発させるよ…

 シーボルトと芦田の会話,芦田の発言

このとき芦田首相は昭和電工事件で辞職したばかり 「総辞職の決定を報告するため陛下にお会いした時、陛下は裁判の判決がわかるまで東京を離れるつもりはない、と申された。その時の陛下の口調と態度から、もしや退位を決意されたのではないかと直感したので…

芦田首相、辞職の報告

三時に宮中にお茶の会に召されている。今日は九人の閣僚がいたが、案外朗らかな空気であった。 四時に終了。私は引見室の隣で陛下に内謁見を願った。そして「辞職の決意を致しました。御許を願います」と申上げた。陛下は落着いていらせられた。議会は開くの…

芸術院の会食

谷崎潤一郎、柳田国男、佐藤春夫、野上弥生子は欠席 カメラマンが写真を写したりして正午過から御陪食。一時に行って見ると御茶の席へお移りになった所、話しはいい工合に進んでいる。お上の左の方へ順に森戸文相、志賀直哉、長谷川如是閑、正宗白鳥、辰野隆…

芦田と田島の退位問題についての打ち合わせ

田島宮内府長官が三時半に来訪。Abdicationをしない件について色々打合わせた。これはMacArthurと近く話す予定にしているのでその応対振を協議したのである。この点は差当り最も重要な問題である。両者は完全に意見が一致した。 『芦田均日記 第2巻』(201p)…

天皇退位についての田島からの報告

八月二十九日、予ての約束により宮内府長官田島君が午後七時、外相官邸に来訪。 田島君(以下Tと記す)は御退位問題について自分は白紙でいると言った(私も同じであると答えた)。然し宮仕え三ヶ月にして自分は天皇が退位の意思なしと推察している ー 然し…

田島日記の記述

夜7:30 芦田首相 外相官邸に訪問 Non Partisan お上の意向のこと 想像 抽象論は改めて今は退位論反対をいふ 原文はカタカナ Non Partisanは「党派性なしに」? 加藤恭子『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(61p)昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見加藤 恭子 文…

林敬三侍従次長と退位問題について

森岡君の事を頼もうと思って林次長に会わうとしたが、千客万来でなかなか会えない。午后そうそうやっと会える。非常に喜んで下され、あと色々御退位問題についての其後の動向についても話して下さる。 『入江相政日記 第4巻』(80-81p) 原文は旧かな入江相政…

「腹が減った」とおっしゃった天皇

雨はなお降っているが四時半から小雨の中をゴム長に御傘で御出ましになる。千条園から嚶鳴亭、千条園をお抜けになる頃雨が音を立てて降って来たが又間もなく小降りになった。方々で植物をお採らせになる。斎藤君が掘る。霧の中を七時に還御。それから御入浴…

芦田均の決意

今日は組閣して丁度三月目だ。予算は何とか通ると思う。然しそれからが難航だ。その上六月七日のTimeとNewsweekが天皇退位の問題を書き立てている。それが更に難問だ。私には決心は出来ている。決心通りに行けば、私は閑雲野鶴を侶とすることができる。 『芦…

三谷隆信回顧録に書かれた天皇の食事についての記述

記述からは日付は特定できないがこの前後だと思われる。(12日以降は天皇は那須に行っている) 拝命後間もなく田島長官と共に吹上の御文庫に召されて夕餐の御陪食に与った。御文庫とは戦争中吹上御苑内に急造した防空用の建物である。地下は防空壕として設計…

退位についての発言(マッカーサーへの報告書から)

マッカーサーの副官バンカー大佐から総司令官に提出されたメモに添付されたグリーン予備大佐(参謀第二部諜報担当官)の報告書より 六月八日、天皇は宮内府某高官に対し、退位と関連して最近の人事交代が起こった、という噂を話題にした。その時この高官が、…

 宮中人事の交代

宮内庁長官 松平慶民 → 田島道治 侍従長 大金益次郎 → 三谷隆信実際はGHQ民政局の以降による更迭人事侍従次長の加藤進が反対し、芦田均と田島道治が怒るが陛下の意向と知り恐縮。 (徳川義寛『侍従長の遺言』(134p))侍従長の遺言―昭和天皇との50年徳川 義寛…

大金退任直前の浅川林業試験場での出来事

この日、天皇と皇后は浅川の林業試験場に植物採集に出かける。 この翌日、大金侍従長は退任 ちょうど皇后陛下が進まれるお顔先にも、長楕円形のやわらかい若葉をつけた、枝ぶりの優しい気が枝を差しのべていた。皇后陛下はその一枝を折ろうとなさったが、片…