1946-01-01から1年間の記事一覧

アメリカ紙の記者に見た地方巡幸

『シカゴ・サン』紙の特派員マーク・ゲインの『ニッポン日記』より ちょうどそのとき、私は天皇を(われわれは彼のことを「チャーリイ」と呼んでいた)よく見ることができた。彼は小柄で背は五フィート二インチばかりもあろうか、この日は灰色の縞の下手くそ…

木下道雄、沼津御用邸にて

沼津御用邸(西)にて昼食後一時間計り拝謁。 一、呉竹寮組織変更の件御異議なし。 二、夏冬の大宮様御用邸としては、沼津と軽井沢とあれば足る様に思われたり。冬の寒さが御困難にて、夏の暑さは苦に遊ばされず。台湾に住みたいと思ったとの御話ありし位、…

東久邇稔彦がもらしたされる天皇退位の意向

東久邇稔彦は1946年2月27日付『読売報知』に、宮内省某高官として登場し次のように発言した。 「天皇御自身は適当な時機に退位したいとの御意志を洩らされている。これはーーもし御退位が実現するとしてーー天皇が御自身で自己の戦争責任を引受けられるため…

公職追放令についての昭和天皇の反応

この発言の正確な日付はわからないが、この日GHQが軍関係者の公職追放を指令している。 公職追放令がGHQから指示されてきた。直ちに訳文をお手元に差しだすと、ご覧になっていたが、一読後に私に仰せられた。 「ずいぶんと厳しい残酷なものだね、これを、こ…