三谷隆信の推察する天皇の心境

 私が侍従長を拝命した頃、世間には天皇退位論が盛んであった。戦争は天皇の名によって行われたのであるから、天皇は責任をとって退位すべしという形式論もあり、国民道徳の低下を救うためには、天皇の退位が最上の道であるとする政治論もあった。このような議論をすべて陛下はよく御承知であった。決してこれに耳を閉ざされていたのではない。これらの意見をよく御考慮の上、最上と考えられた道を忍耐と勇気とをもって御歩みになったのである。市ヶ谷裁判の判決は昭和二十三年十一月十二日に下された。東条英機広田弘毅の両元総理大臣はじめ七名が絞首刑に、木戸元内大臣、荒木元陸軍大将等十六名が終身禁固刑に処せられた。陛下にとって終戦詔書に「堪え難きを堪え」と仰せられた「堪え難き」ことの一つであったと拝察する。


三谷隆信回顧録 侍従長の昭和史』(277p)

4122033810回顧録 侍従長の昭和史―シリーズ戦後史の証言・占領と講和〈3〉 (中公文庫)
三谷 隆信
中央公論新社 1999-03

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