宮内府の人事交代に対する反応

三井、鈴木両氏と八時半過迄話し、加藤次長に呼ばれて次長の家へ行く。いろいろ御馳走になり、酒を飲み乍ら今度の宮内府の人事について色々聞き皆で歎く。長官、次長、侍従長と一遍に行ったら一体後はどうなるのだろうか。実に馬鹿馬鹿しいつまらないことで…

芦田均、皇室への要望

午後自動車で葉山御用邸に伺候。三時から約一時間拝謁した。 私は (一)宮内府長官に田島を御嘉納下され有難く御礼申し上げ、(二)侍従長については現在者を据置くことのご意嚮を拝したが、矢張りこの際とりかえることが内外に好印象を与えると存じますか…

田島道治、宮内府長官を受諾

宮内府長官に田島君承諾。 正午宮中の午餐。一時半入御、終って陛下に拝謁した。その時の御話の中で私から金森の後に田島道治を推薦申し上げる旨言上したところ、明後日森戸文部大臣と田島とが来る筈だから、其時によく話した上で自分の考を述べようと仰せら…

昭和天皇、47歳の誕生日

天長節祭の御代拝は永積さん、十時十分から我々の拝賀、続いて皇族、旧皇族、大勲位以下、庁舎の宮内官という風にいつものように御行事は進む。この頃少しお疲れのように拝したのでうかがって見たが、そんな事はないとの仰せ。その後旧奉仕者にお会い遊ばさ…

天皇の退位に関する田島の思い

午後四時過に外務省へ田島君の来訪を求めて話をした。宮内府長官に頼むと言うと「これは又意外の話、生まれてから考えても見ない事で」と答える。然し同君は新しき天皇の在り方について、又御退位の然るべきこと(此点は南原君、堀内君も同じだ)を話され、…

宮中の人事とGHQの意向

午後四時、総理官邸にて南原東大総長と会談。是非宮内府長官を引受けられたしと頼んだが、「自分は学園に終始する決心です」とて動かない。誰か適任はないかと尋ねたが「侍従長ならば高木八尺君がよいと思う」と言った。 その後へ松平宮内府長官来訪。 「お…

バリー・ファリスとの会見

バリー・ファリスは米国ハースト系新聞のINS通信編集幹部。 今日のフアリーバリスはインタナショナルニュースサーヴィスの主筆でマッカーサーの選挙の有力なるものの由、随分つきつめた事をうかがった由。例えばルーズベルト大統領の親電を事前にお聞きにな…

芦田内閣成立の日

私は特に拝謁の上御言葉を賜ることになっていた。設けられた椅子に腰を下ろすと先ず自分から進んで言上した。 芦田は国会の指名を受けて大任を拝することになりました。時局は誠に重大であり、前途は困難と信じますが、一切の毀誉褒貶を度外視して全力を尽く…

能登からの勤労奉仕団

両陛下御徒歩で御文庫にお帰りの御供をする。花蔭亭通用門前で例の大里ふさ女史の率いるのとの勤労奉仕団に賜謁、大里女史は段々に感激して例により土下座して「何卒お身体を御大切に遊ばしますよう、私どもはお上お一方を力に生きているのでございますから…

片山内閣退陣に対する宮中の反応

十一時過に片山総理拝謁、辞表捧呈、一時間ほどかかる。とうとうこの内閣ものたれ死にをして了った。宮内府に対して無理解な干渉をしたものの当然の末路であろう。 * 「無理解な干渉」とは片山哲は宮内府を他と同じように総理庁外局とし宮内庁としたこと、…

天皇起訴せずの意向

十月二十九日夜Keenan主席検事と親しい田中隆吉(少将)と会談の際、陛下の問題に関しふれた点左の通り。一、Keenan帰米の際Truman大統領より陛下は罪状ある時に起訴して差支えなき旨の権限を与えられた由。 二、木戸侯の供述書中に陛下の御考として「独蘇衝…

アメリカ紙の記者に見た地方巡幸

『シカゴ・サン』紙の特派員マーク・ゲインの『ニッポン日記』より ちょうどそのとき、私は天皇を(われわれは彼のことを「チャーリイ」と呼んでいた)よく見ることができた。彼は小柄で背は五フィート二インチばかりもあろうか、この日は灰色の縞の下手くそ…

木下道雄、沼津御用邸にて

沼津御用邸(西)にて昼食後一時間計り拝謁。 一、呉竹寮組織変更の件御異議なし。 二、夏冬の大宮様御用邸としては、沼津と軽井沢とあれば足る様に思われたり。冬の寒さが御困難にて、夏の暑さは苦に遊ばされず。台湾に住みたいと思ったとの御話ありし位、…

東久邇稔彦がもらしたされる天皇退位の意向

東久邇稔彦は1946年2月27日付『読売報知』に、宮内省某高官として登場し次のように発言した。 「天皇御自身は適当な時機に退位したいとの御意志を洩らされている。これはーーもし御退位が実現するとしてーー天皇が御自身で自己の戦争責任を引受けられるため…

公職追放令についての昭和天皇の反応

この発言の正確な日付はわからないが、この日GHQが軍関係者の公職追放を指令している。 公職追放令がGHQから指示されてきた。直ちに訳文をお手元に差しだすと、ご覧になっていたが、一読後に私に仰せられた。 「ずいぶんと厳しい残酷なものだね、これを、こ…

第一回皇居勤労奉仕

この日、宮城県栗原郡の青年団勇士による初めての皇居での勤労奉仕が行われる。 団長は鈴木徳一、副団長は長谷川峻(のちに衆議院議員となり労働大臣や運輸大臣、法務大臣を歴任)以下は筧素彦「第一回皇居勤労奉仕」(筧素彦『今上陛下と母宮貞明皇后』)に…

初めて天皇と会見した米記者の印象

『ニューヨーク・タイムズ』太平洋方面支局長フランク・クルックホーン記者による天皇の印象 「私は戦後天皇に会う最初の米人であり、外国人だった。天皇はその縁なし眼鏡を通してじっと私の顔を直視した。彼の顔には、戦争のヤツレが見えた。顔色はいいが、…

明仁皇太子への手紙

天皇が穂積重遠東宮大夫に奥日光にいた皇太子のもと届けるようにと依頼した手紙 手紙をありがたう しつかりとした精神をもつて 元気で居ることを聞いて 喜んで居ます。 国家は多事であるが 私は丈夫で居るから安心してください 今度のやうな決心をしなければ…

 退位の意向を木戸にもらす

天皇「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍び難きことなるが、自分が一人引き受けて退位でもして納める訳にはいかないだろうか」 木戸「連合国の現在の心構より察するに、中々その位のことにては承知致さざるべく、かつまた外国の考え方は我が国…