芦田均

 シーボルトと芦田の会話,芦田の発言

このとき芦田首相は昭和電工事件で辞職したばかり 「総辞職の決定を報告するため陛下にお会いした時、陛下は裁判の判決がわかるまで東京を離れるつもりはない、と申された。その時の陛下の口調と態度から、もしや退位を決意されたのではないかと直感したので…

芦田首相、辞職の報告

三時に宮中にお茶の会に召されている。今日は九人の閣僚がいたが、案外朗らかな空気であった。 四時に終了。私は引見室の隣で陛下に内謁見を願った。そして「辞職の決意を致しました。御許を願います」と申上げた。陛下は落着いていらせられた。議会は開くの…

芦田と田島の退位問題についての打ち合わせ

田島宮内府長官が三時半に来訪。Abdicationをしない件について色々打合わせた。これはMacArthurと近く話す予定にしているのでその応対振を協議したのである。この点は差当り最も重要な問題である。両者は完全に意見が一致した。 『芦田均日記 第2巻』(201p)…

天皇退位についての田島からの報告

八月二十九日、予ての約束により宮内府長官田島君が午後七時、外相官邸に来訪。 田島君(以下Tと記す)は御退位問題について自分は白紙でいると言った(私も同じであると答えた)。然し宮仕え三ヶ月にして自分は天皇が退位の意思なしと推察している ー 然し…

田島日記の記述

夜7:30 芦田首相 外相官邸に訪問 Non Partisan お上の意向のこと 想像 抽象論は改めて今は退位論反対をいふ 原文はカタカナ Non Partisanは「党派性なしに」? 加藤恭子『昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見』(61p)昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見加藤 恭子 文…

芦田均の決意

今日は組閣して丁度三月目だ。予算は何とか通ると思う。然しそれからが難航だ。その上六月七日のTimeとNewsweekが天皇退位の問題を書き立てている。それが更に難問だ。私には決心は出来ている。決心通りに行けば、私は閑雲野鶴を侶とすることができる。 『芦…

芦田均、皇室への要望

午後自動車で葉山御用邸に伺候。三時から約一時間拝謁した。 私は (一)宮内府長官に田島を御嘉納下され有難く御礼申し上げ、(二)侍従長については現在者を据置くことのご意嚮を拝したが、矢張りこの際とりかえることが内外に好印象を与えると存じますか…

田島道治、宮内府長官を受諾

宮内府長官に田島君承諾。 正午宮中の午餐。一時半入御、終って陛下に拝謁した。その時の御話の中で私から金森の後に田島道治を推薦申し上げる旨言上したところ、明後日森戸文部大臣と田島とが来る筈だから、其時によく話した上で自分の考を述べようと仰せら…

天皇の退位に関する田島の思い

午後四時過に外務省へ田島君の来訪を求めて話をした。宮内府長官に頼むと言うと「これは又意外の話、生まれてから考えても見ない事で」と答える。然し同君は新しき天皇の在り方について、又御退位の然るべきこと(此点は南原君、堀内君も同じだ)を話され、…

宮中の人事とGHQの意向

午後四時、総理官邸にて南原東大総長と会談。是非宮内府長官を引受けられたしと頼んだが、「自分は学園に終始する決心です」とて動かない。誰か適任はないかと尋ねたが「侍従長ならば高木八尺君がよいと思う」と言った。 その後へ松平宮内府長官来訪。 「お…

芦田内閣成立の日

私は特に拝謁の上御言葉を賜ることになっていた。設けられた椅子に腰を下ろすと先ず自分から進んで言上した。 芦田は国会の指名を受けて大任を拝することになりました。時局は誠に重大であり、前途は困難と信じますが、一切の毀誉褒貶を度外視して全力を尽く…

天皇起訴せずの意向

十月二十九日夜Keenan主席検事と親しい田中隆吉(少将)と会談の際、陛下の問題に関しふれた点左の通り。一、Keenan帰米の際Truman大統領より陛下は罪状ある時に起訴して差支えなき旨の権限を与えられた由。 二、木戸侯の供述書中に陛下の御考として「独蘇衝…