1948-02-10 片山内閣退陣に対する宮中の反応 入江相政 十一時過に片山総理拝謁、辞表捧呈、一時間ほどかかる。とうとうこの内閣ものたれ死にをして了った。宮内府に対して無理解な干渉をしたものの当然の末路であろう。 * 「無理解な干渉」とは片山哲は宮内府を他と同じように総理庁外局とし宮内庁としたこと、さらに宮内府の人事を刷新しようとしたことをさすと思われる。『入江相政日記 第4巻』(25p) 原文は旧かな入江相政日記〈第4巻〉―昭和23年1月~昭和25年12月入江 相政 朝日新聞社 朝日新聞社 1994-10by G-Tools