1948-01-01から1年間の記事一覧

天皇の退位に関する田島の思い

午後四時過に外務省へ田島君の来訪を求めて話をした。宮内府長官に頼むと言うと「これは又意外の話、生まれてから考えても見ない事で」と答える。然し同君は新しき天皇の在り方について、又御退位の然るべきこと(此点は南原君、堀内君も同じだ)を話され、…

宮中の人事とGHQの意向

午後四時、総理官邸にて南原東大総長と会談。是非宮内府長官を引受けられたしと頼んだが、「自分は学園に終始する決心です」とて動かない。誰か適任はないかと尋ねたが「侍従長ならば高木八尺君がよいと思う」と言った。 その後へ松平宮内府長官来訪。 「お…

バリー・ファリスとの会見

バリー・ファリスは米国ハースト系新聞のINS通信編集幹部。 今日のフアリーバリスはインタナショナルニュースサーヴィスの主筆でマッカーサーの選挙の有力なるものの由、随分つきつめた事をうかがった由。例えばルーズベルト大統領の親電を事前にお聞きにな…

芦田内閣成立の日

私は特に拝謁の上御言葉を賜ることになっていた。設けられた椅子に腰を下ろすと先ず自分から進んで言上した。 芦田は国会の指名を受けて大任を拝することになりました。時局は誠に重大であり、前途は困難と信じますが、一切の毀誉褒貶を度外視して全力を尽く…

能登からの勤労奉仕団

両陛下御徒歩で御文庫にお帰りの御供をする。花蔭亭通用門前で例の大里ふさ女史の率いるのとの勤労奉仕団に賜謁、大里女史は段々に感激して例により土下座して「何卒お身体を御大切に遊ばしますよう、私どもはお上お一方を力に生きているのでございますから…

片山内閣退陣に対する宮中の反応

十一時過に片山総理拝謁、辞表捧呈、一時間ほどかかる。とうとうこの内閣ものたれ死にをして了った。宮内府に対して無理解な干渉をしたものの当然の末路であろう。 * 「無理解な干渉」とは片山哲は宮内府を他と同じように総理庁外局とし宮内庁としたこと、…